恒例のお不動様祭典が行われ、日輪寺住職による不動明王供養で始まりました。祭典は昨年同様、新型コロナの拡大が憂慮される中ですので、おたのしみ福引のみで、おでん、綿菓子等の接待は無く、受付も設定しない開催でした。
参拝者は今年も、「火災安全・悪疫退散」を願って古いお札を納め、新しいお札と御供物をいただきお参りし、新年の挨拶を交わしていました。地区内の皆さんには密を避けるため、組長さんが代表で「お札(火災安全・悪疫退散)」や「御供物」をいただいて、「コロナの収束」を願ってのお参りでした。今年も皆様に良い1年でありますようお祈りします。
「火除けの神様・不動様の由来」(お不動様世話人記事より)
新田地区のお不動様は元文元年(DC1736年、8代将軍吉宗の時代)建立の記録があります。以来280年余、人々はもろもろの災難を恐れ、平穏で幸せな生活を願って近くのお不動様を信仰してきました。長い歴史の中には、大火災の最中にあっても堂屋は残ったと言われています。
「火災からのがれた不動明王」
明治22年12月、今の下宿付近から火災が発生する。ときに西風と北西の強風にあおられ飛び火した火は、新田地区に燃え広がり一面火の海と化した。新田地区が次々と燃えうつるときに不思議な現象が起きた。お不動様に近づいた火は急激に衰え、わらぶきのお不動様とその付近にあった2軒は大火からのがれたという。世の人はこの現状を見て、これはお不動様の力であり、火の神様として信仰してきたおかげではないかと、新田地区を見守ってくれたお不動様に感謝しなければならない。そして大火後、世の人は信仰が益々厚くなり、1月28日と10月28日、年2回お祭りの日とし、特に1月28日は、縁日の祭典の行事が行われてきました。また、お不動様の正面には、昭和11年1月、国領町の企業からの奉納幕(区画整理で移転前の奉納)が飾られています。