荒牧町下宿の関口博さん宅の北側のブロック塀の一画に、お地蔵様など数体の石仏が安置されています。
区画整理の前は少し北の旧道の傍らに南向きにまつられていました。特にお地蔵様は現在でも墓地の入口の六地蔵や水子地蔵など所々で見かけ、最も身近な石仏でしょう。
死んで冥土へ行き、地獄で閻魔の裁きを受けるとき、その苦痛から救ってくれるのがお地蔵さまで、阿弥陀仏の浄土へ導いてくれるという民間信仰と結びついて広まったのです。子供を救済するとか、村の境から悪いものが入ることを防ぐための道祖神の信仰と結びつくなどして村の境や辻に建てられたりもしました。
この下宿でも現在はお地蔵さまと双体道祖神が一緒に地域を守っているかのようにまつられています。その他に江戸時代の女性たちが建立した廿二夜供養塔の如意輪観音さまや馬を供養した馬頭観音などの石仏があります。
↑お地蔵さまと廿二夜供養塔等の石仏
↑左、馬頭観音(文化4年、1807)
↑右、双体道祖神(宝暦9年、1759) 左、文政9年(1826)の石仏、和尚様の供養碑かとも言われている
昭和六十三年、大規模な区画整理事業がすすめられ、道路も整備拡幅され通行利便となりましたが、当時この石仏も片付けられる話もでたようですが、関口さんは先祖の供養のため現在の場所に安置したとのことです。
小学生が下校の道すがら野の花を供えているのを見かけたことがありました。また誰が供えたのか、蜜柑やお菓子があげられていたこともありました。何百年もの年月、人々を見つめてくださったお地蔵さまたちに向かい手を合わせゆったりした氣分になりました。