前回は「広瀬川今昔」として現在の広瀬川が、どのように流れを変遷させてきたのか、その大まかについて触れてみた。この流れの始めは、かっては利根川であったことには触れた。
今回は広瀬川の現在について調べてみた。何といってもこの川は、本県が誇る水力発電に役立っていることである。上毛カルタの中にも「理想の電化に電源群馬」という一枚がある。群馬県企業局が発行した資料を見ると、昭和33年(1958)に県営第一号発電所として、三国山脈に源を発した赤谷川の水を利用した桃野発電所が運転を開始した。
それ以降、現在までに県営の水力発電所は28箇所に及ぶ。この中で広瀬川には、上流からみると田口発電所(昭和41年)・関根発電所(昭和42年)・小出発電所(昭和42年)・柳原発電所(昭和42年)そして、分水されてはいるが天狗岩発電所もある。
なお、企業局の資料によると関根・小出・柳原の三つの発電所の運転開始年月日は何れも、昭和42年5月13日となっている。
広瀬川の取水地点から県庁裏までの延長約10km間には、約46mの落差があり、最大出力合計29,700kWの低落差・大容量発電所群は、当時としては、世界有数の規模を誇るものであった。
一般に、低落差・大容量発電所は発生電力量に比較して施設費が大きくなり、発電原価は高いものとされてきたが、群馬県企業局は「チューブラ水車発電機」の導入により低落差・大容量発電を可能にした。
このチューブラタービンは、水路の中に水車発電機を横軸に据え付けた構造で、一般的低落差に比較して効率が高く、しかも建築費を少なくすることができた。発電した電気は全て東京電力が買い取っている。
しかし、これらの発電所の建設のためには、かなり大がかりな広瀬川の改修が必要であった。町の先輩方の話によると、改修が始まると間もなく川の周辺の家庭の井戸が、殆ど渇れて水がでなくなり混乱したとのことである。この間に上水道の普及が進んだようである。
現在の広瀬川は灌漑用にも大切な役割を果たしており、悠久の流れのように荒牧町の中を流れている。
(写真は企業局資料)