荒牧町を流れる広瀬川には町内に6本の橋がある。上流から見ると、最も大きな「広瀬橋」、中央公園脇の「ふれあい橋」、次に栗原医療器械店横には2本の「下宿橋」がある。1本は昭和42年に竣工された少し狭いものと、他方は昭和62年竣工のやや大きい橋である。5本目の橋は、青少年センターに通じる「一本橋」であり、最後の6本目は老人福祉センター前を通る平成6年3月に完成した「荒牧大橋」である。
これらの6本の橋それぞれが、荒牧町の発展と共にその姿を変えてきた歴史がある。上毛大橋へと通じる「広瀬橋」は、昭和20年代頃迄は、かなり狭く欄干も無かったため誤って人が落ちたという話がある。橋の東詰めから団地地区の方角を見ると、荒牧山と言われた松林が広がっていた。平成10年6月の「上毛大橋」の開通に先立つ3月に、現在の立派な橋に生まれ変った。区画整理の影響にもよるが、この橋の東西の発展はこの橋の整備によるところが大きい。
2番目の「ふれあい橋」は、平成11年3月に架けられたやや小さめではあるが、その存在は町が発展し中央公園などが整備され、物と人との交流が盛んになってきた一つの象徴である。
新・旧2本ある「下宿橋」の古い橋の脇には太平洋戦争末期、市の中心部が激しい爆撃を受けた際に、多くの住民が避難した防空壕があった。
青少年センターに通じる「一本橋」は、町内の先輩たちの話では、かっては文字どおり1本の木がかかっていただけだった。昭和39年〜42年にかけて発電所が建設されるに際し、石積みであった川の両岸はコンクリートに変り、この橋も平成元年2月には現在の堅牢な橋となった。
平成6年に開通した6本目の「荒牧大橋」は長さ16.6m・幅12mではあるが、この下を上小出に通じる道と立体交差になっており、そのため実際には、上毛大橋同様長いアーチ状になっている。この橋を渡る時に、下に広瀬川が流れていると気付く人はあまりいないのではないか。
先輩達が子供の頃は、これらの橋の上から多くの男の子・女の子が夏になると飛び込んで泳いだと語っている。魚釣りに夢中になったり、石段を降りて川の水で洗い物をした経験もあるそうである。
隣の川原町と吉岡町は、広い利根川で隔てられていたが、堂々とした「上毛大橋」により荒牧町とも直接つながった。これらの町の発展にはただ、ただ感無量としか言い様がない。
(写真は全て平成3年10月撮影)