昭和36年から当時「労金団地」といわれていた荒牧団地に少しずつ家が増え始め、商店などが開店した。そして昭和51年には団地商店会が発足した。
「団地10年の歩み」が編纂された昭和55年には、15戸の商店や美容院などがあった。この冊子の中には・・・・これらの商店等は「荒牧団地商店会」に加盟しお互いの商売繁盛をはかるとともに、団地の発展に寄与する・・・・となっている。
これら15戸は、大河原豆腐店・グンゼ肌着紳士服の近江屋・河内酒店・湖柳美容室・総合衣料のたかくわ・野菜果物菓子の中根商店・和洋菓子の長津商店・米穀タバコ食料品の根津商店・鮮魚青果食料品のハギワラ商店・星野寝具店・ミナミ理容所・寿司釜めしの豊寿司・らん美容室・酒日用品食料のヒラオ商店、そして日用品雑貨の学生協荒牧供給所であった。
この「学生協荒牧供給所」は、後の丸山商店へと受け継がれることとなる。故人となられた丸山孝利さんが残された記録によると、「昭和37(1962)年3月30日、待望の我が家ができたのでアパートを出て現在所に引っ越した。当時は家ができたといっても、電灯も勝手用品も何もなかった。全て自分で調達しなければならなかった。近所の家はまばらで、街灯も舗装もなく、砂利道で夜や雨天の日は大変であった。店もほとんど無かった。」
この当時、学生協荒牧供給所は丸山商店のすぐ近くに建築が予定されていたが、諸般の事情から丸山さん宅に運営が依頼されたのであった。昭和39年(1964)年3月のことである。
その後、団地商店会も何店かの出入りはあったが、会発足当時の目標であった「団地地区の発展や親睦に寄与する」という点においては、十分にその目的は達成されたと言える。春のお花見会・町内納涼大会・サービス券の発行・マス釣り大会の実施など顕著なものがあった。
しかし、この商店会も長引く景気の低迷や団地周辺への大型店の進出などの状況により、平成18年10月をもって解散することとなり、会員全員にこの趣旨の内容が通知されたのであった。発足以来30年余、誠に寂しいかぎりである。東日本大震災の発生などもあり、団地商店の方々の前途も一気に好転となるのは容易ではないが、発展に向かうことも期待される。