わが国は地名の多い国としても知られている。その土地の名は、山川草木による地形あるいはその場所の形状、あるいは歴史的な由来など様々である。
さて、これら全国の地名の成り立ちを調べてみると、その場所の多くが最初から現在使われている地名ではなかった。一つの例として以前からの発音が現在の地名となっているものも決して少なくはない。例えば、「かっち」、「かわち」、「こうち」と呼ばれていた土地が、今では「河内」と表記されている。現在の「あらまき」も古い文献によると、その全てが確証が持てるとは限らないが、かつては新牧、荒蒔、荒巻という記述も存在していた。
ところで、我が「荒牧町」の「あらまき」について調べてみると、昭和46年に元群馬大学歴史学研究室の尾崎喜左雄教授が次のように書いている。要約すると・・「あらまき」は現在「荒牧」の文字をあてている。一見、荒廃した牧場を連想するが、これは「新牧」の意であろう。この地は西隣の川原村(町)との間に、元禄年間の古地図によると利根川が流れていた。
また、「延喜式」という書物によると、上野国から馬を献上した官牧の一つに「有馬島敷」があった。有馬は以前の古巻村大字有馬である。「古巻」は「古牧」であり、「ふるまき」に対して「あらまき」があったことは当然考えられる。有馬の地の東方に「新牧」が設けられ「あらまき」と呼ばれ「荒牧」の字があてられたと考えられる。さて、馬を献上した官営の牧場は特に上野国だけではなく、全国に「古牧」や「荒牧」という地名があるはずであり、これは上述した、従来の古い牧場に対して新しい牧場にあたる地名が付けられているのであろう。
平成17年(2005年)に平凡社刊行による、「日本歴史地名体系」という辞典により「荒牧村」という地名のある場所を調べると、群馬・新潟・滋賀・兵庫・熊本・大分のそれぞれの県にあることが分かった。しかし、これらは当然、平成17年当時の調査に基づくものであるため、その後の市町村の合併等により変遷をしていったことは十分考えられる。そして「あらまき」と呼ばれる、新牧、荒巻、新巻、新蒔、荒蒔という地名になると、さらに多くの県や地区から見い出すことができる。我が荒牧町もかつては荒蒔・荒巻と表記されていたような記述も存在している。
次に、上記6県の県毎の辞典や各県の担当者からの調査により、「あらまき」という名称の由来を調べて見た。その結果、これらの地名の由来のほとんどが、古くは古代あるいはそれ以降の馬の産地あるいは牧場(まきば)に関係したものであった。「荒牧」以外で表記されている地区についても全部は調査できなかったが、恐らく馬・牧に関係した地名と考えて良いのではないか。