移転前の荒牧神社の東側に「伊勢東」、北側には「伊勢後」という地名が残っており、町内の先輩方の話では荒牧神社は「おいせさん」あるいは「神明宮」とも呼ばれていた。こうしたことから荒牧神社の古名は、全国に数多く存在する「伊勢宮」の一つとして考えられる。伊勢神宮と出雲大社は我が国で最古の神社として、人々から熱い信仰が寄せられてきた。
さて、神社には「おふだ」あるいは「護符」などがつきものである。百科辞典で調べてみると、「おふだ」は・・「神社や寺院で配布される護符の一種。木や紙に、神名、仏名や超自然的な力を象徴する図像が書かれたり印刷されている。 配布される前に神前や仏前で祈祷され、それによって霊力や呪力がお札に込められると信じられている。伊勢神宮の神宮大麻(おふだの意)は、最も有名で御師(おんし)によって中世以降全国に広められた。・・」となっている。
現在、新年になると荒牧神社からも四種類ほどの「おふだ」が配布されているが、統括している赤城神社の宮司さんの話によると、これらの「おふだ」は三重県の伊勢神宮であらかじめ製作され祈祷された後、赤城神社に移され改めて祈祷を受けて、ようやく荒牧神社に奉納されるとのことである。しかし、これらの「おふだ」の多くはどんど焼きあるいはお焚上で燃やされてしまった結果、我が国にはその殆どが残されていないのが現状である。ところが、これらの「おふだ」の持つ意味に注目し、海外に保存してくれたヨーロッパの知識人たちがいた。この点は浮世絵とも共通している。
平成22年に弘文堂より発行された「日本の護符文化」という書物の中に、・・「最大の収集は、イギリス・オックスフォード大学ピットリバース博物館の500点を超える「おふだ」である。続いては、スイス・ジュネーブ市立民族学博物館にある500点もしくは900点ともいわれる収蔵品であり、3番目はフランスのパリにあるコレージュ・ド・フランス日本学高等研究所に保管されている、約700点の日本文明の民俗学資料の中の十分の一ほどが「おふだ」であるといわれる・・」。なお、同書の中に「・・これら3つのコレクションが日本国外、すなわち西洋にあるということは、特に宗教上の観点からではなく、単に民俗学的資料としての収集であったと考えられる・・」との記述が見られる。
ともあれ、外国ではあるが、貴重な資料が残されていたということは誠に幸いであると言える。荒牧町も例外ではなく、古くからの「おふだ」が残っている家庭は殆ど見当たらないのは、当然といえば当然である。