荒牧まちかど探検(31)

荒牧町収蔵の野帳

 荒牧町自治会事務所には、ミカン箱大の6個の木箱に長年にわたって引き継がれてきた文書(もんじょ)が保管されている。これらの文書の中でひときわ目を引くのが、全部で31冊もある野帳(のちょう・やちょう)である。

 この野帳について、昭和5年(1930年)柏書房から発刊された古文書用語辞典によると、「野帳は江戸時代、検地帳作成過程で作られる仮帳簿であり、一筆ごとの小字名・縦横間数・反別・四至(境界)・名請人(地主)などを野外で記入した手帳をもとにして清書したものである。・・・即ち野帳は検地帳作成における基本台帳といえる」となっている。自治会事務所に保存されている野帳は明治時代に入って作成されたものであるが、一番古く痛みが目立つ9冊の中の一冊の上書きに、「明治九年第四月字西ノ窪 上野国勢多郡荒牧村」と記されている。

 この他の22冊を見ると古くはあるが、かなり上質の和紙で綴じられ、内容は前期の8冊とほぼ同じであり、文字は丁寧に書かれ注釈や朱書き等は記入されていない。多分清書されたものであろう。しかし、年号は無く、上書きに「第三大区一小区 勢多郡荒牧村」と記されている。この区分については群馬県史第21巻に「熊谷県北各大小区集会仮規則」の項に、「明治七年 上野国勢多郡北第三大区第一小区を、荒牧村・関根村・川端村・日輪寺村・上小出村の五村を含む」とある。ちなみに群馬県と命名されたのは明治9年(1876年)8月からである。このことから見ると、前記の「明治九年第四月・・・」と書かれたこれらの野帳は県名が変わる僅か2年ほど前に作成されたと推測される。もちろん突然作成されたのではなく、それ以前に色々と調査・計測等時間を掛けた準備の段階があった上での事と考えられる。

 これらの野帳は全て小字毎に分けて綴じられ、田畑の面積・形や地価も入っているのもあり、驚くほど細かい字で書かれている。全部が正確に解ったとは言えないが、明治9年は今から138年も前である。多少古くなってはいるが、我が国古来の書道や和紙の技術には驚嘆の他はない。現在我々の使用している紙が果たして100年後に残っているのだろうか。