荒牧まちかど探検(39)

荒牧町の酒店

 酒は米とともに我々の生活の中に最も深くかかわっているものの一つと言える。幾つかの文献で調べてみると、先ず外国においては、トルコ東部に位置するアルメニア地方では紀元前8000年頃には既にワインが造られていた。また同じく、紀元前1500年頃に書かれたといわれるギリシャ神話の中の酒の神様バッカスが葡萄の木の栽培とワインの製法を教えたと記されている。
 エジプト人が穀物から酒を作ることを知ったのは、5000年前以上のことであることが文献に残っている。
 中国では最古の王朝であった夏(カ)の頃に酒が造られ始めたと記録されている。
 翻って、我が国においては和銅5(712)年元明天皇に献上された。わが国最古の歴史書である古事記に「スサノオノミコト」が「ヤマタノオロチ」に酒を呑ませて退治したことは良く知られている。このように酒は我々の生活の中に非常に古くから結びついていたと言える。
 現在でも冠婚葬祭に特に酒は無くてはならないものであり、勿論わが荒牧神社の祭祀にも御神酒(おみき)として欠くことができない。荒牧町においては造る立場として、下宿の関口博氏の先祖が江戸時代以降で酒造家として記録が残っているが、さて売る方の立場としての酒店の記録は、仲々見当たらない。又先輩方に聞いても古い酒店は記憶に無いとの事であった。
 明治以降では、下宿の関口酒店が最も古かったようであるが、残念ながら現在では廃業してしまった。
 次に大正時代に開店した角屋(かどや)酒店は、17号線から桃川小学校に入る丁度角にあった。しかしこの店も平成7年に閉店となり、以前からの荒牧町では一軒も酒店は見られなくなってしまった。
 団地地区では、河内酒店を含めて2店が開業したが、河内酒店も2年前に惜しまれつつ閉店した。従って以前からの酒店は団地地区内に残る1軒のみとなってしまった。
 現在では、コンビニやスーパー等で気軽に酒は購入できるが、以前の酒店の開業には、かなり厳しい条件があったと聞いている。先ず、隣接する酒店との距離、周辺の人家や人口の数、店の広さや坪数、銀行への預金高、経験年数、毎日どの種類の酒が何本売れたのかの記録は常に税務署が検査に来るとの事であった。
 荒牧町に限らず市内においても、古くからの酒舗が時代の流れとはいえ、閉店せざるを得なくなり、新しい形の店に変わってゆくのは誠に複雑な思いである。

                             (区画整理前の写真は、西澤孝夫氏の提供です)


区画整理前の関口酒店

今はない横断歩道橋より市街地方面の国道17号線。左側にかどや酒店、右側はつちや菓子店。現在の荒牧町北交差点付近。

河内酒店