荒牧まちかど探検(44)

住んで良かった荒牧町

 「十年一昔」とよく言われる。十年も経てばもう昔であるという意味である。
 さて、荒牧町の昔はどうであったか。例えば荒牧団地の発足頃からでも現在の姿を予見できた人は恐らく居なかったに違いない。
 最も昔日の面影が無いのは広瀬橋を渡って川原町へ通じる道路とこの両側周辺であろう。以前この道は車がようやく通れるジャリミチであり、雨が降れば通行には中々難儀であった。しかし上毛大橋の開通によりその姿は一変し、往き来する車の数は目を疑うものがあり、交通の大動脈となっている。

 この他、町内の雰囲気を変えたのが、大型小型の施設や商店等であろう。昭和45年に群馬大学教育学部が市内のかっての清王寺町から移転してきたのに続き、昭和48年には荒牧小学校が開校した。
 桃川小学校と併せて市内では珍しい一町二校の小学校設立となった。ちなみに荒牧小学校の一期生は二クラスであり、卒業式は体育館が無かったため群馬大学の教室を借りての挙式であった。

 この後も朝鮮飯店をはじめ、各種の飲食店が町内及び周囲には数多く開店し、町民の舌を楽しませている。コンビニ・スーパー・衣料品店も揃い、上毛大橋を渡れば生活に欠かせないより豊富な品々が手に入る。
 我々の健康面でも町内と周辺には、内科・歯科・眼科・整形外科・耳鼻咽喉科・ペインクリニック等が開院し充実している。

 上毛かるたにある「伊香保温泉日本の名湯」へ行くには車ならば30分~40分である。東京・新潟方面にも駒寄インターから入ればそれ程苦にならない。
 子供達を遊ばせたり、ゆっくり散歩する上で、交通事故の心配の無い敷島公園も近い。市内の東部の町の住民から「荒牧町は羨ましい。荒牧町に住んで見たい」という声を聞いたことがある。

 「荒牧町三十年記念誌」によると、以前の荒牧村の村有林を昭和35年にかっての「労住協」に坪1500円で売却したとの記載がある。しかし過日の新聞の折込にあった不動産会社のチラシには、荒牧町のどの地区とは触れていないが、坪あたりの売価は15~16万円となっていた。

 この地価の上昇によっても荒牧町の評価はかなり上がったことになろう。昭和47年の区画整理事業による移転が始まって以来整備された町内の街並は隣接する町と比較しても遜色は無い。少子高齢化の問題はこの町にもあるが、本当に「住んで良かった荒牧町」の言葉は的を射ていると言える。


上毛大橋(東より)

荒牧小学校(北側)

群馬大学(正門)