イーストプレス社から刊行された「消えた市町村名の謎」という書物に、「平成29年現在で、我が国には1718の市町村が存在する。明治の前半に、ほぼ現在の形になってから殆ど変化がない都道府県と違って、市町村の内70000ほどあった江戸時代の『ムラ』を1889(明治22)年の市町村制により15000ほどに整理した。その後明治・昭和・平成の合併の結果現在の数になった・・・・・」とある。
この流れの中で、特に統一国家を目指した明治政府は統一の基礎資料を得る必要に迫られ、全国の実態調査をはじめた。その一つが「府県史料」の編纂であり、明治維新から明治7年までの全国の各府県の沿革調査が主眼であった。明治8年6月には太政官達で「皇国地誌編輯例則」を各府県に通達したのもこの政策の表れである。本県においても同年7月に「上野国郡村誌」の編輯掛が設置され、明治10年に「上野国勢多郡荒牧村」の部も編纂され、この中に30の「小字」が記されている。
この小字の位置についてはおよその記述はあるが、現在使われているどの地区に当てはまるものかの記録は見当たらない。そこでこの30の小字が現在のどの5地区のどこに相当するのか町内の数人の先輩方に尋ねてみたが、同じ答えは戴けなかったので、お聞きした大要をまとめて次のような配置とした。あくまでもこれが正しいものとは言い切れない。皆様方から、この分布について指摘をいただければ幸いである。
Ⅰ団地地区 ①台所南 ②台所 ③台所東 ④台所北 ⑤黒岩
Ⅱ中荒牧地区 ⑥笠松 ⑦堰下 ⑧瓜畑 ⑨西窪 ⑩萩林 ⑪萩原北 ⑫源斉
Ⅲ下宿地区 ⑬下宿 ⑭中反保 ⑮宿前
Ⅳ上宿地区 ⑯上宿 ⑰宿後(シクウラ)⑱伊勢東 ⑲八幡前(ハチマンマイ)
Ⅴ新田東地区 ⑳船戸 ㉑小出後(コイデウラ) ㉒船戸 ㉓船戸西 ㉔船戸東 ㉕自性寺前 ㉖日輪寺前 ㉗欠田(カケタ) ㉘天神後(テンジンウラ)㉙東原 ㉚青柳西
これらの小字の中には、上宿や下宿のように今でも通用している字もあり、台所・自性寺前のように時折耳にするが今ではあまり耳にしないものが多い。しかし前橋法務局に問い合わせると、現在でも正規の土地登記にはこれらの小字が用いられているとの事である。そして最近はこうした「小字」に対する関心が高まりを見せているようである。